正しくて楽しくないものであふれている
栄養価は高いがおいしくないもの。そんな感じだろうか。
「食わなきゃいけない」
というフレーズがある。
たとえそれが(その仕事が)どんなに過酷で薄給(ブラック企業)だろうと、
生きていくためには(食べるために)仕方ない。
ということだと思う。そしてそれは決して楽しいことではない。
自分も会社員時代は、今振り返れば「THE ブラック企業」に属していたんだと思う。
とはいえ、広告の制作業務だから時間内でできたものを世に出すわけじゃない。
自分たちが「これだ!」となったものをプレゼンの果てにクライアントも納得し、
初めて世にでる。だから時間という概念はあってないようなものだ。
会社にいる時間を就業時間とするなら、会社にはいないか、いても1、2時間ということもザラだった。
会社で朝を迎えることなんてしょっちゅうだし、日付が変わる前に家に帰ることなんてほぼなかった。
ような気がする。体力的にキツいと思ったことはあんまりなくて、強制されたわけでもなくて、
ただただいいものをつくりたいという一心だった。だから、楽しかった。
それは、世の中的には決して正しいことではなかった。
成果に対する報酬なので残業代なんてない。でも、まあ楽しかった。
というか、大学を卒業して社会に出てからその働き方しかしてないからそれしか知らないのだが。
働く、食べる、結局、俺らなんのために生きてんのさ?につながる
うーむ。結局、当ブログは生きるにつながるなw
生きやすい日本じゃないもんな、暗いニュースも多いし。
宝くじでも当たって何億もの大金が転がり込んででもすれば、少しは生きやすくなるかもしれない。
ずっと続くかはわからない。気持ちも金も。
つまり、どうやったら生きやすくなるかという画期的な発明はないと考える。
俺にはまあ、「話し聴くぜ」くらいしかできない。
次にはまあ、「とりあえず一緒にいる」くらいしかできない。
困っている友人を目の当たりにしてもできることはそれくらいのものだ。
我々にできることは実はそう多くない。だが、存在そもものが力になる、頼りになる。
家族の存在、友だち、師匠、先生、推し、なんでもいい。
そんな存在がいれば、人生はちょっぴり楽しくなる、俺はそう考えている。
コメント