やりたいことがないない症候群。
宮藤官九郎プレゼンツ、20年近く前のドラマ「タイガー&ドラゴン」がアマプラに登場したってんで、
こら見ねぇわけにはいかねってんで、見たわけでごぜぇやす。旦那ぁ。
めぐみこと伊藤美咲の破壊力グンバツなのは置いといて、、
ヤクザで噺家の小虎(長瀬智也)がその舎弟、銀次郎(塚本高史)に放つ一言が今日のテーマ。
時代が変わってもこの「やりたいことない症候群」は一定数いる。
銀次郎はヤクザの親分の息子、未来の二代目でこれといった苦労をしていない現役大学生の設定。
ようするに恵まれた環境下にあると人はやりたいことがない、もしくは、
ないと思い込んでしまうのかもしれない。厄介だぜ。
やりたいことがない、という“現象”がなぜ起きるのだろうか。
勘違いの可能性。
ここでいう「やりたいこと」は、中長期に渡ることを指す。職業にしたいとか、
それで身を成したいとかそういった類だ。兄貴分の小虎で言えば「落語」がそれだ。
ヤクザの未来が待っている銀次郎は、選択肢がひとつしかないという意味では
可哀想なのかもしれない。
ヤクザが「落語」と出会い、寝ても覚めても「落語」とのめり混み、刑務所内でも
「落語」の本をそれこそ片端から読み倒していく様が描かれている。
ドラマだから、と言っちまえばそれまでだけど、
ドラマのようにやりたいことと我々の電撃的な出会いはあるのだろうか。
『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方』によれば、ないそうだ。
興味ある方はぜひに。
この本の最大の長所は、やりたいこと=仕事に設定されている点だ。
自分探しみたいなフワッとしたことでなく、
自分の「得意なこと」「好きなこと」「大切にしている価値観」から
職業を導き出していくプロセスが記されている。
やりたいことがないのは勘違いで、実はすでに自分の中にある可能性がある。
やりたいことがないのではなく、やりたいことはすでにあるのだけど気づいていない
という言い方が適切なのかもしれない。自分の背中は自分では見えない、というように
自分という人間は他者との関わりで成立している。だが逆に自分の内面にあるやりたいことの火種は
自分にしか見つけられない。その見つけ方のヒントが先の書に記されている。
検討を祈る。
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