失ったものを数えるな 残されたものを最大限にいかせ

LIFE

失ったもの、ってなんだ?

たまさかに寄った近所の神社でtake freeの「生命の言葉」という短冊型の紙に書かれていた。

・チャリでたまたま通りかかった神社に寄る

・そこで「生命の言葉」を手にする(そもそもこれ的な紙が置かれていない神社もある)

なかなかない確率で出会った言葉なので、自分になんらかの意味があると思う。

思うことにする。啓示ってやつ。

静寂に包まれた境内で「失ったもの」について考えてみる。

真っ先に思ったのは「時間」だった。

青い春はすでに過去であるし、家でダラダラしても咎められない大学生の自分もすでに過去だ。

“あのときああしとけば”

“もう一度あの場面に戻ったら違う選択をする”

ということは、おっさんになった今も頭をよぎることがある。

AとBの道があって、Aの道を選んだとする。その道をしばらく行くと、

「はて、Bの道を行ってたらどうなってたんだろう」と思うのが人間の性な気がする。

Bを選べばAを思う。

結局、どちらを選んでも大差ない、という考えをおじさんになるとできるようになる。

若いばっかりがいいわけじゃないってことだね。

残されたもの、ってなんだ?

これもやはり「時間」かもしれないね。

我々は生まれ落ちたときから「死」に向かっているわけで、

その期日が人によって違うというだけで。

そこで、大先輩・煉獄杏寿郎の言葉が思い起こされる。

老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ

老いるからこそ死ぬからこそ

堪らなく愛おしく尊いのだ

鬼殺隊には何百年と継がれてきた「想い」がある。

だが、鬼舞辻には鬼舞辻しかない。想いが継がれることはない。

企業で言えば「理念」だ。創業者が死してなお企業が反映するのは、理念があるからだ。

人は人でなく、想いに共感する。

つまり、我々の使命は残された時間を使い、想いを届けることかもしれないね。

目の前の子へ、なのか。

となりに座っているパートナーへ、なのか。

広く普く世界中の人へ、なのか。

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