「可能性は無限大」という。
誰もが一度は小学校などで先生などから聞かれたことがあると思う。
本にも書かれているかもしれない。サッカー日本代表を応援幕にも書かれていた。
可能性という概念だけでいうなら間違いなく無限大だと思う。
宇宙という概念に近いかもしれない。
何かに挑み、思った結果に届かなかったとき、善良なる第三者に
「可能性は無限だからさ」とかいわれたらパンチしちゃうかもしれない。
可能性ってやっぱりふわっとしてるんだよなぁ。範疇がでかすぎて。
自由にしていいよ、何やってもいいよ、というと子どもは止まってしまうらしい。
と保育士さんがテレビでいっているのを思い出した。
旅行プランもパック商品が割と売れるらしい。ベースとなるプランをアレンジする人は
たくさんいるみたいだけど、0から組み立てる人はいないそうだ。
そんな人はそもそも旅行会社に来ないということらしい。
「ワンチャンいけますかね?」みたいな、
あの子今日いけますかねというわかりやすさがほしい、と思うおいらです。
可能性の正体とは。
自分の子どもに
「若いんだから可能性は無限大だぞ!何だってなれるぞ!」
みたいなアプローチは個人的にはあんまりよろしくないと考えております。
可能性の扉多すぎて選べないよ!と子どもいう。
行き先も決めずに旅行に出かける人はあまりいないと思うけど、そんなもんだ。
それよりも、
何をしているときが楽しくて、気づいたら何時間も経ってしまうようなこととか、
そういうのをつぶさに聴いていくのがいいと思うのよね。
その上で大人として親として人生経験の中から、可能性の扉をしぼって提案する。
それが可能性の正体だと俺は思う。
その扉の向こうに広がる景色は、本人にしかわからない。
無理とか、不可能という概念も存在しない。ただ、ひたすら前進あるのみ。
そういうことをいうのは、その景色にはいない人。
さて、今日も無理を承知でイキってみますかね〜。
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