武田を滅亡に導いたのは信玄公説。
戦国武将で誰が好きかと聞いたら「武田家」と答える人は多いと思う。
その際の武田、とはすなわち武田信玄を指すだろう。まさかに信虎さんはないと思うw
勝頼さんはどうか。
世間一般的な解釈としては、代々継いできた老舗を偉大なお父さんが日本一にまで気付き上げたのに、
あっさりダメにしちゃったダメ息子みたいなところだろうか。
小生、昔から勝頼さんの評価は変わらず「最高の武将」という位置付け。
設楽原の戦いは、彼が自分の力を試したかっただけで、結果的にみれば確かに大敗だったのかもしれない。でも、経営戦略は必ずうまくいくとは限らないし。ある意味その失敗でさえ成功の一端と言える。
設楽原の戦いが、滅亡のプロローグのように語られるがあくまでも結果からみた話しだし、
本当にそうなら1575ないしは翌年に滅びてもおかしくない。
すべては亡き偉大な父を超えたい、という初一念が勝頼さんの行動原理とするならば
結果を出さなければ誰もついてこないと、強引にならざるを得ない。
日の本一イケイケな織田・徳川連合を凹ることはその手段に過ぎない。
そう考えると信玄公が自身亡き後の道筋を立てずに召されてしまったことこそが、
滅亡のプロローグだったように思う。
勝頼さん、ほんとこれはカッコ良すぎる。
「どうする家康」の勝頼さんは、眞栄田郷敦さんが演じているがハマり役すぎて
過去一番なキャスティングな気がする。往年の大河「武田信玄」の勝頼さんより遥かにいいw
その勝頼さんが山縣の赤備えを前に打つ演説がまた素晴らしい。
手堅い勝利を百重ねようが一の神業には及ばぬ
真理だ。桶狭間の信長さんを指しているのかもしれない。
戦国期に重要とされた、家名存続。勝頼さんにはそれ以上に父を超えたかったんだよ。
武田=信玄、そうじゃない。家名とは信玄だけのものじゃない。
だから、俺が天下に武田の名を轟かせてこそ真の武田という家名が後世まで残る。
そのためには織田・徳川を成敗する必要がある、しかも目の前にいるじゃないか!!
出陣じゃ〜!!
山縣はじめ、武田四天王の三名を失ったのはあまりに大きな痛手だったがすべては結果論。
信長さんが上手だっただけにすぎない。
・お父さんがあまりに偉大すぎたこと
・すぐ近くに信長さんがいたこと
ともあれ勝頼さんを推す。一の神業といわなけれど、「信長の野望」では
必ず勝頼さんに天下を獲らせるようにしている。
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