ルールは大人が楽する手法かもしれない。
世の中には俄かに信じ難いルールがある。
特に小学校には多くの謎ルールが存在していて、常人には実に理解し難い。
意図を尋ねると、概ね「前からそうだから」という残念な回答が返ってくる。
教師が思考放棄していいのだろうかと暗澹たる気持ちになる。
ブラック校則以上に、小学校の謎のルールは合理性に欠くケースが多いと思う。個人的に。
小学校は教育ではなく「管理」する場、というのが個人的な見解だ。
同じように役所にもその手のルールが無数にあり、小学校以上に「決まりなので」の
一点張りだ。それが仕事を効率化する目的ならそれもありなのだろうけど、
ルールだから!で済ます盲目的なルール辛抱者は辛い。
まあ、運用側は楽なんだろうね。
ルールは自分で決める。
月並みも月並みだけど、やはりルールは自分で決めるのが健やかに生きる術っぽい気がする。
公共社会のルールには粛々と従いつつ、健やかに生きていくための“マイルール”を決める。
マイルールの素敵なところは迷ったとき、とりわけ2択を迫られたときに絶大な効力を発揮することだ。
たとえば、、、
「副業OKなのでうちで働いてくれないか?」
と打診があったとする。頼られることはありがたいことだ。
条件もこちら主体で選べて且つ、給料もそこそこ。
難点は3つ。
1.時間が読めないこと。つまり予定が組みづらいこと。
2.仕事が恐ろしく単調であること。つまり自分じゃなくてもできる。
3.全くの別業界であること。つまりこれまでの経験値を活かしづらいこと。
あなたならどうする?
毎日決まった日に給与が振り込まれるのはいいことだ。大いなる安心を生む。
俺には「楽しいことに時間をつかう」というマイルールがあるので丁重にお断りする。
もうひとつ、「俺にしかできないことをする」というマイルールもあり、Wで却下だ。
楽しくても時間拘束が長いと楽しくなる時がやがて訪れるし、
お金が良くても単調だと翌日には飽きる。
そうすると、時間が早く過ぎることを願うようになる。
ルールとは別に、俺の最大のバロメーターがこれだ。
時間は、時間だけは誰にも同価値であるはずなのに、さっさと過ぎて欲しいと思うシーンは
全力で避けるべき、という青年の主張でした。
もしあなたが↑こんな情念を抱えているなら今すぐその仕事を辞めるべきだと思う。
心と身体、健やかであっての仕事だよ。
以上。
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