命は重いのか軽いのか。
今際の国のアリスを観走しました。
チシヤとクズリューの対戦で、クズリューはありし日の“ビーチ”に想いを馳せる。
魔女狩り(だったかな)のゲームでディーラーであったモモカがクズリューに言い放ち、
自ら命を断つ決断をする。
理想のためよ。人の心は美しいって、人の命は尊いって
私は、信じてるから。どうせいつかはここで尽きる命なら、
私は、理想のために死ぬって決めたのよ!
何のために生きるのか。生きるということは何なんだろうか。
生存することなのか、生きがいとやらを見つけて楽しく暮らすことなのか。
みたいなことをアリスは考えさせてくれる。
ゲームに負けた人々があっという間に次々と死んでいく、それもあっさりと。
瞬殺ってやつだ。重いとか軽いの前にゲームの敗者は瞬殺される。
誰しもが経験があると思うがゲームでは、LIFEが減っても「あー」って思うくらいだ。
主催者はその感覚で人々の命をゲームのように奪い取っていく。なかなかハードだ。
生き残った人、そうでなかった人の差はなんなのだろうか。
劇中では、サバイバーズ・ギルト についても触れらている。
自分か友だちか、どっちを取るか。自分ならどうするのか考えてしまった。
生きるとは死ぬことと見つけたり。
個人的なアリスの発見としては、やっぱりモモカの崇高な理念だ。
死ぬことで生きる意味を簡潔させる、葉隠の武士の気概を見た。
マリー・ローランサンという画家の詩に、
「死んだ女よりもっと哀れなのは忘れられた女です」
という一節がある。これも思い出してしまった。
同時に年末ということもあり、たまたま点けたテレビで
マグロ漁師が取り上げられていた。
70を過ぎ、くわえ煙草に操舵する年輪の刻まれた顔につい見入ってしまった。
生き様を見た。俺はマグロを追いかけるんだ、という。
生活は決して楽ではない、というようなリポートもなされていた。
人生をかけて追うに足るものなのだろう。
ただ生きるのか、気合い入れて生きるのか、金のために生きるのか、
金のために死んでしまうのか、我々は問われている気がする。
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