あるがままの心で生きようと願うから。
ミスチルの歌はやはり響く。
もうかれこれ四半世紀以上前の歌だけど、響く。
なにも足さない、なにも引かないは響ではなく、山崎なのだが。
あるがままの心で生きられないことを誰かのせいして俺たちは毎日を過ごし、
あるがままの心で生きようと願うと俺たちは傷つくけど誰だってそうだよ、
だから隣の愛する人を大切にしようぜ、とミスチルは私たちに説いてくれる。
家でも学校でも職場でも、いつでもどこでもあるがままに生きている人はほぼいないと思う。
SNSは、良くも悪くも容易に他人と自分を比較できる。というかしてしまう。
Twitterの新機能はさらにそれを加速させたんじゃないかと思う。
「今の若い人」という括りが適切かはわからないけど、どうなんだろ。
やっぱり比較してしまうのだろうか。
我々の青春に「リア充」なんて言葉はなかった。
没入できることを見つける。
漫画、「我間乱 ―修羅―」という剣客時代劇に恐ろしく強い「千石伊織」という
剣士がいる。彼が重要なヒントを示唆してくれている。
彼は純粋に己の剣の腕を磨きに磨き、天下無双を目指している。
その彼の前に立ちはだかるのが、亡き師匠の幻影だ。
伊織は師匠に完敗するのが、直後に師匠は病で召されてしまう。
「勝ち逃げされた」わけだ。いつか超えたいと願った背中を追うことはもうできない。
それが迷いを生み、師匠以外の剣士にも遅れを取るようになってしまう。
そんな彼は戦いの中で一つの真理に到達する。
それが、「俺は、俺を極める!!」
という信念を生む。かくして、師匠の幻影を見ることはなくなった。
そういうことなのかもしれない。目標とする誰かがいるのは素晴らしいことだけど、
囚われすぎるとまさに自分を見失う。
人と比べるとキリがない。比べ始めたら永遠に比べることができる。
お金持ちがすべからく幸せとは限らないし、お笑い芸人がいつ何時も楽しい人なわけがない。
俺は俺だし、ぼくはぼくだし、きみはきみ。
伊織の剣のように没入できるものがあれば最高だし、なければひとまず隣の人を大事にしよう。うん。
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