人生の行き先は、自分で決めなければならない。
生きるのって、簡単じゃないよね。
誰もが人生に迷うし、彷徨うしね。
俺もたくさん迷ってきた。
二択のものから、数多ある選択肢のあるものまで
ともかくたくさん迷い、ときに悩んできた。
幸か不幸か、恋愛関係で翻弄されたことはあっても迷ったことはそれほどなく、
留学や進学、就職といった自分自身の生き様に大きく関わる決断において、
たくさん迷い、悩み、右往左往してきた半生のような気がする。
特に就職→転職→独立、このプロセス。
どちらの道が正解なのか。
給料云々ではなく、どちらの道が俺らしくいられるのか、という青い決断。
どちらも正解であり、どちらも不正解かもしれない。
そもそも正解不正解という概念ですらないのかもしれない。
ただ残念なことに、人生はABテストのように両方の道を試すことはできない。
決断の迷ったとき、あなたはどうする?
1.本を読む。
2.信頼する人に相談する。
3.ともかく熟考する。
俺は必ずといっていいほど、誰かに相談した。
「こうこう、こうなんだけど、どう思う?」
人それぞれ、立場も違えば価値観や考え方だって違う。
参考にはしても、最終的には決めるのは自分だ。
行き先は自分で決めなければならない。
人生は選択(決断)の連続、なんてことは小学生でも知っている。
後に続く言葉を考えてみる。
「だから間違いのない選択をしたい」と言うことだろうか。
さらに噛み砕くなら「自分の人生がより良くなる方を選びたい」
みたいなことだろうか。当たり前だ、誰だっていい方に行きたいに決まっている。
ただ、どの道がどうだったかは、人生が終わってみなければわからないし、
どちらの道も通るわけじゃないのでわからない。
自分の人生を抱きしめてトゥナイトするしかねぇ。
つまり、考えるだけナンセンスである。
じゃあどうしたらいいのか。
そうしてこのブログを開設するに至ったわけです。
就職氷河期と言われた世代、40代半ばのおっさんとなった今、
自分なりの“答え”のようなものがわかった気がする。
タイトル回収みたいな風にいうなら、「自分の人生を愛する」ことに尽きる。
過去にいくつもの別れ道があろうと、通ってきた道はひとつ。
だったらその道を抱きしめて、愛してやろうじゃないの。抱きしめてTONIGHTだ。
20代、30代のころの自分を支えたモチベーションは
「もっと、もっと!!」という疲れ知らずの上昇思考だった気がする。
何を掴んでも、もっと欲する。
腹いっぱいなのにまだまだ替え玉を追加してしまうような、
何をやってもの足りなさを感じるような毎日。
それが若さというひとつの性質なのかもしれないけど、
もうおっさんだから足りなさを感じることはない。
振り返ると楽しかった若気だが、それはそれでもういい。
お腹いっぱいだ。
おっさんになって(自覚して)
そんな過去の自分、過去の自分の行いをしかと抱きしめてあげられる度量が
腹回りの脂肪とともについてきたんだと思う。
これまで自分が歩いてきた道は、どんな道だったにせよ書き換えることはできない。
胸を張って愛でててやるしかねぇ。
それができるのは世界にたった1人、自分だけなんだから。
過去をしかと抱きしめて、前へ。
ラグビーのように、ひたすら前へ。
人と比べるなんてナンセンス。
俺は俺、ぼくはぼく、わたしはわたし、きみはきみ。
迷ったり、悩んだり、そんな人の背中をポエム的綴りでちょっと押せるような、
そんなブログを目指して。
かしこ。