なんのための「就職」か。誰がために「就職」するのか。
さて。
企業や組織に属する、手に職で稼ぐ、いずれにしても就職に限らず
人生は経済活動とは切り離せない関係にある。
「金じゃないんだ!」と言いたいところだけど、結局やっぱり
「お金だよね」というのが現世における苦行とおじさんは見ています。
人はお金のために生きているわけじゃないけれど、
お金がないとそれこそ生き死にに関わるまさに禅問答の世界観。なーむー🙏
お金を追いかけるとお金は逃げていき、
好きなことや人のためになることをやっていたらお金が着いてくる。
うーむ。。やはり禅問答だ。答えはない。
真っ当に就職する理由を考えてはいけないのかもしれない。
さて。
就職すれば毎月決まった日に給料が支払われる。
就職しない場合、仕事がなければ0だし収入は安定しない。
なので一つの視点だけで就職するもしないも決められない。
初めての一人暮らしに似ている。
こっちは駅近でキレイだけど家賃が予算オーバー。
こっちは予算内だけど風呂が微妙、日当たりが微妙、などなど。
働いたこともない学生に、数多の企業から自分に合った企業を見つけるなど
一生の伴侶をゲットするより難易度が高い。
今ではキャリアアドバイザーなる素敵な存在がいて、限りなく自分の志向に合った企業を
リコメンドしてくれてミスマッチを防いでくれる。
これは企業にとっても学生にとってもいい仕組みだと思う。
我々の時代にはいなかった人種だと思う。いたのかもしれないけど。
そんな中、学生に「当社を志望する動機をきかせてください」とはなんとも酷だ。
そんなもの、少なくとも当時の自分には皆無だった。ゴールデン皆無だ。
「5年後のビジョンを聞かせてください」とかなんとか言われたこともあるが、
「そんなもんねぇよ!」とは言えなかった。
目の前の面接官には5年後のビジョンがあったのだろうか。
就職というレール、就職しないというレール。どちらもレールはレール、なのかもしれない。
そんな風に日々繰り返される、
「働きたいフリ」「真っ当な人間であろうとするフリ」に疲れ、
最終面接まで進んだ2社に撃沈したこともあり急に熱が冷めて、
というか猛烈にバカバカしくなってスーツも捨て、ブリーフケースも捨て、黒髪もやめた。
当時の自分は「大学卒業を控えたから就活する」というのが一番の動機だった。
それでも運良く潜り込めればよかったのか、内定を取れなかったのが逆によかったのか、
後者の人生しか味わってないのでわからない。
当時の自分は周りから見れば、
大学も卒業したけど就職せずにバイトでなんとなく生きているように見えたからもしれないが、
間合いに入ったら斬り捨てられるくらいの気合いは纏っていた。
要するに、
レールからはみ出してしまった俺、
長いこと培われてきたジャパンシステムに乗れなかった俺、
を特に親は「お前、頼むよ」という目で見ていた。
俺のオーラ、見えてなかったんだなw しゃーない。
親はチャレンジを讃えるより心配する生き物だから。
その気持ちをありがたくいただきマンモスするしかない。
時代によっても就職事情は変わる。
大学にいけばいい就職が待っていた昭和の人たちだ、仕方あるまい。
当時を思い返すと、スーツに身を固め毎日満員電車にゆられ戦っている友人たちに
後ろめたい気持ちもあったけど、それ以上に自分にはそれはできないという確信があった。
自分はなんとなく何かをやることができないので、いきたいと思った会社以外では
働けなかったので就職しない決断をしたけど、
就職は就職でいいこともある。
しないとしないで自由だけど新卒でしか入れない会社があることも事実。
そんなことは当時わからなかったw
やりたいことがないなら、とりあえず新卒でしか入れない会社に行く、というのは
大いにありだと思う。
映画もそうだけど、見た後でないと面白かったか否かはわからない。
就職した方がいいか否かも同じで、後からじゃないとわからない。
1年目は死ぬほどつまんない会社が、2年目には超絶楽しくなるかもしれない。
それは自分にしかわからない。自分で感じるしかない。
私の場合はもう「心のままに」というしかないかな。
ともかく自分と対話するしかない。他人ができることはアドバイスくらいなもの。
そんな私は、まあ、ほんと散々に迷って迷って今ここにいる。
だから迷ってる君の決断の2%くらいは、寄与できるかもしれない。
まったく役に立たないかもしれない。
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