不倫はそもそも文化である。
「不倫は文化」
という名言を残した某俳優殿がかつてこの国にいた。そして、今もいる。
果てして文化なのだろうか。
本日はブログのコンセプトを一部変更してお届けいたします。
脳科学者の中野信子さんが脳のメカニズムから解説しておられます。
不倫がなくならいのは脳の仕組みによりもので、同時に不倫者へのキツイ風当たりもまた、
なくならいと解説しておられますのでぜひご一読を。
と、考えると「不倫は文化である」は正解だと思われる。
こちらは実際におきた事件。2時間のサスペンスドラマのような私の守備範囲の斜め上をいく内容だ。
人間って不完全で未完成で、そういうものなのだよ、というのは誰しもが
頭ではわかっているものの、なかなかどうして消化しきれないところもありやなしやなので、
筆者としてはもう少し身近かつ下世話な観点から論じたいと思う。
スマホの可能性。
道ゆく人を数分でいい。観察してみる。
ほとんどの人がスマホ片手に歩いているのがわかるだろう。この時点で片手が使えない。
リュック型でなくカバンタイプなら両手が塞がることになる。
見ながらなんて人もいる。これでは視界が極端に狭まる。
さらに最近、とみに増えているのがイヤホン族の方々だ。
ワイヤレスが隆盛を極める昨今だが、Appleユーザーの自分ですら
AirPodsは微妙に感じてしまう。
なんか、牽引車が何も牽引しないで走ってるあの切なさを禁じ得ない。
それは置いといて、イヤホンもブッ刺してたら耳も聞こえない。
両手が塞がり、視野も狭まり、周囲の声も聞こえない。
残った足で女性の元へ向かい、真ん中の足を使う。
という下品な見解になる。
晴れた日は星空を眺め、雨の日には雨音に耳を貸し、曇りの日には目を閉じて瞑想する。
スマホから解放される日は、我々人類に訪れるのだろうか。
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